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福岡ハレ系スタッフ

過去の記事

私の履歴書その9

【私の履歴書9】
埼玉に残ることが決まり
フル回転の生活が始まる。
カメラマンがいないエリアだったので
スタジオでの写真撮影、
新人さんの対応、フォロー、
女性スケジュール対応、
男性スタッフへの教育
フロント業務
宣伝業務全般
接客、掃除と
あらゆることをやらさせて頂いた。
不器用な自分にこれだけのことをさせて頂き、
今後の人生を生きて行く素養が築けたのは
言うまでもない
だから思う
こんな自分でもやれば出来るのだから
ちょっと不器用な人間に出会っても
決して不安になったり不満を感じることはない
誰だってやればできる
逆に昨今の人達は器用に生きている人が多くて
感心することが多い
スタッフにも上司にも恵まれた埼玉。
このまま埼玉に骨を埋めるのかなと思った矢先
またまた異動の話が来る。
埼玉の上司が
“オマエにはホント、居て欲しいんだけどさぁ”
“横浜から声がかかってるんだよね”
横浜?
あの辛酸を舐めた横浜…….
なぜ?って思った。
けどこれも試練。
此処で学んだ事をさらに生かして行こうと思うしか無かった。
その時の皆でお別れパーティーを
大好きなボーリングをしながら開催してくれたこと
今でも忘れられない。
神奈川、熊本でその当時のスタッフが活躍している。
会うとあの頃の話になったりする。
なんかいいですよねぇ
またもや横浜へ出陣である
腹を決め僕は引き継ぎをしながら
横浜へ行く準備をするのだった。

 

 

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私の履歴書その8

【私の履歴書8】
そんなこんなで
充実した札幌ライフを送っていた訳であるが
グループが埼玉に新規出店をする事になり
2ヶ月間お手伝いに行く事に。
まだまだ若く、アグレッシブだった僕は
二つ返事で快く引き受けた。
出身が神奈川ということで
同じ関東圏であること
2ヶ月で帰って来れるということ等
いつもの異動とは種類が異なるから
大丈夫じゃないかなあぁって
気楽に考えていた。
そう、気楽に。
実際、埼玉生活は楽しく、充実した毎日だった。
知らない土地ということもあり
とまどうこともあったが
新店ということで
スタッフが全員新人。
故に自分が担当する仕事量がハンパない。
正直とまどっていられない
指示を出しながらスタッフに仕事を教えて行き
新店オープンの女性スタッフの対応にも追われ
嵐のように月日は過ぎ去った。
2ヶ月が経とうとしていたある日、
昼ご飯を上司と一緒に食べていた時のことだった
その上司に
“オマエ、もう、帰るのか?”
と言われ
“そうっすね、ぼちぼちもう2ヶ月経ちますね”
“オマエさえ良ければ残ってみない?
向こうの上司には何とか言っておくから”って。
尊敬する上司の有り難いお言葉に
僕は“はい”と返事するしかなかった。
その上司は僕が返事をした後
おもむろに携帯を取り出して
“あ、(おにぎり君の名前)がさぁ、こっち残るっていうから
異動させるね”って。
結局埼玉での仕事が継続になった。
人生、タイミングでいろんなことが起こりうるなぁと
つくづく感じた瞬間だった。

 

 

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【私の履歴書7】

【私の履歴書7】
札幌に戻って来てから
僕は「広報部」という部署で
店の広報、宣伝担当を任せられた。
月に1回だったか、
各店の広報部に選ばれたスタッフの会議なんかもあって
とてもやりがいがありましたが
今ほどまだネット環境が発達してなかったせいか
今よりずっとずっと時間をかけながら
仕事したのは今になっては想い出のひとつだ。
よく雑誌の取材なんかもしてまして
お店だけでの業務ではなく
外回りの仕事が増えたので
元々営業上がりだったこともあってか
楽しみながら仕事ができていました
あるとき、人妻系の広報担当から
エステの広報担当に配属転換された
僕は、瞬間、“まずいなぁ”って思いました。
なぜって?
それは、そのエステのお店がアスセス数が他のお店に比べ
その当時、極端に少なかったからだ。
その状況を改善してほしいということでの
配置転換、大抜擢だったのだ
正直、責任が重い
ズシッっと重くのしかかる。
最初の月、僕は甘く見ていて
毎月、会議でトップの成績だったのが
そのエステのお店に移ってからの初月が
新任の他店舗スタッフに抜かれ2位に甘んじた。
“まぁまぁ、初月で2位だったらいい方やろ。”
と内心思っておりました。
会議になり成績が読み上げられた後
そのときの広報担当長にこっぴどく叱られました
“オマエ、気抜いてんじゃねーよ!!!!!”
正直、ムカーってきました。
“負けるもんか!!”
それから、毎日、毎日雑誌の取材を組み
ネットの宣伝をマメにした結果
2ヶ月でアクセス数がトップになりました
そこからそのエステのお店が流行りだし
福岡にもエステのお店ができるような
広がりを見せる原動力になったのだと
僕は勝手に思ってますが……..
その後、広報担当長が
“オマエ、やっぱスゲぇなぁ”って
言ってくれたことは今でも忘れない
こんなに出来ない自分でも
真剣に無心になって動く事が出来れば
成し遂げれることってあるんだ

 

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